ウイスキー、時々和食

-CHIKURYA WHISKY-

【ジャパニーズ】ニッカウヰスキーの歴史について

【1】ニッカウヰスキーの歴史について理解できる

 

 サントリー同様、ニッカウヰスキーが製造するウイスキーも世界的に高い評価を受けております。ニッカウヰスキーが世界的に評価を受けるまでどのような歴史があるのでしょうか。見ていきたいと思います。

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引用元:ウイスキーづくりへの情熱 | ニッカウヰスキー80周年 | NIKKA WHISKY

竹鶴政孝さんのスコットランド留学について

 ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝さんは広島県竹原町(現在竹原市)で酒造を営む竹鶴家の3男として生まれます。そして、家業を継ぐために大阪高等工業学校酒造科に進学します。高等工業学校を通じて洋酒、特にウイスキーに魅了された竹鶴さんは、先輩の岩井喜一郎さんに依頼し、摂津造酒に入社します。そして、摂津酒造の阿部社長は本格的な国産ウイスキーの製造を目指しており、竹鶴さんにスコットランド留学を打診します。

 1918年に、竹鶴さんはスコットランドに留学し、グラスゴー大学で勉学に励みながらウイスキーの実地機会を得ます。スペイサイドのロングモーンを始め、最終的にはキャンベルタウンのヘーゼルバーンまで幅広いスコッチについて知見を深めていきます。この期間は約2年間であり、上司への報告用としてメモされたノート通称『竹鶴ノート』は有名で、ニッカ本社で保管されております。

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引用元:【グラスゴー】おすすめの観光スポットとモデルコース | 道草旅行社 (michikusatravel.com)

大日本果汁の設立から『ニッカウヰスキー』発売について

 スコットランドで多種多様なスコッチについて学んだ竹鶴さんは、志し高く妻のリタさんと日本に帰国します。しかし、帰国当時の日本経済は谷底にあり、多くの企業は新規事業に取り組む体力がない状況でした。特にウイスキー造りには莫大な事前投資が必要であり、摂津酒造にはその体力がありませんでした。そして1922年に竹鶴さんは摂津酒造を退社することとなります。

 そのような状況の中、『赤玉ポートワイン』のヒットにより、比較的体力があった寿屋(現:サントリー)の鳥井さんが、竹鶴さんを誘い、山崎蒸留所の立ち上げから本格的な国産ウイスキーの製造に従事されます。その後、竹鶴さんは自身の思うウイスキー造りに向けて、ニッカウヰスキーの前身となる大日本果実を北の地で設立し、余市に蒸留所を建設します。ニッカウヰスキーの『ニッカ』という言葉は大日本果実の『日果』から取って名付けられました。

ニッカウヰスキーのこだわりについて

 ニッカウヰスキーのこだわりは、竹鶴さんの『スコットランドに似た環境(気候風土)でウイスキーを造りたい』という信念から来ています。スコットランドの環境に近い余市が選び抜かれ、石炭直火蒸留作業等を現在でも採用してウイスキー造りがされています。このように、スコットランドの伝統を重んじて製造されておりますが、ただ模倣するのではなく、時代やニーズに合わせて柔軟にバラエティーに富んだウイスキーを世に送り出しているのが、ニッカウヰスキーなのではないでしょうか。

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引用元:ウイスキーづくりへの情熱 | ニッカウヰスキー80周年 | NIKKA WHISKY

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引用元:蒸留棟 世界でただ一カ所「石炭直火蒸留」を今でも行っている。 | 石炭, 余市, 世界 (pinterest.jp)

■ニッカウヰスキー主な銘柄

 

 以上、本日はニッカウヰスキーの歴史について見てみました。スーパーニッカで作るハイボールが美味しい...