ウイスキー、時々和食

-CHIKURYA WHISKY-

ウイスキーの色についての歴史(どのようにしてウイスキーに色が付いたのでしょうか)

【1】ウイスキーに色がついた歴史が分かる

【2】ウイスキーの熟成の歴史が分かる

 

 スコッチウイスキーをより深く味わう上で、スコットランドの歴史を知ることは非常に有意義と言えます。現在ではスコッチウイスキーは世界で最も有名なウイスキーとなっていますが、現在の地位を築くまでには非常に苦悩もありました。

 スコットランドとイングランドは非常に多くの歴史がありますが、今回はウイスキー造りに特に影響を与えた17~20世紀あたりの歴史に絞ってお話します。さてなぜウイスキーに色が付いたのでしょうか?

 

スコットランドのイングランド併合について

 

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 もともとスコットランドとイングランドの関係は民族的対立(ケルト人とアングロサクソン人)があり関係性は非常に悪く、現在であってもスコットランドの独立運動が起きる状況であります。

 歴史を遡ること1707年。イングランドが半ば強制的にスコットランドを併合し、大ブリテン王国を建国します。当時スコットランドは国王に統治されており、国の機能である議会を持つ独立した国家でした。

 何とかしてスコットランドを併合したいとかねてより考えていたイングランドでしたが、長年スコットランドの反抗に合ってきており、対応に苦慮していました。そのような中、イングランドはついに併合に向けて動き出します。

 1705年、併合に応じなければ貿易を規制し、スコットランドの経済を弱体化させると迫ったのです。当時は実質イングランドが世界の大市場を押さえており、イングランドによって市場から締め出されることは、世界市場から締め出されるに等しい状況でした。

 当時のスコットランドの経済状況は悪く、特に大都市を抱えるローランドを中心に併合による経済成長を期待する声が強まり、1707年自由貿易と宗教の独立性を条件に議会を解散、イングランド議会に吸収させる事に応じます。大ブリテン王国誕生の瞬間です。

 しかし、この際にスコットランドの議席数はイングランドとウェールズが513に対して、スコットランドはたったの45。スコットランドの人口は全体の20%であることを鑑みると明らかに不利な状況でした。おそらく、過去からの民族対立からのイングランドの人たちの国民感情が強く反映されたと思われます。この議席数の少なさが、併合された後もスコットランドが弾圧される法案を作り出していく元凶となります。

密造時代について

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 スコットランドでは、イングランド併合前からウイスキーに対する課税は行われていましたが、併合後の1713年以降その税率は上がる一方で、1725年頃には非常に重い税金が課される状況となりました。スコットランドの議員定数が明らかに少ない事により、どれだけ反対しても半ば強引に重税の法案が可決したそうです。

 ここから、スコッチは苦しい密造酒時代を歩むこととなります。特にハイランドでは私的な蒸留窯を保有している家庭も多く、ウイスキー造りは生活の一部でした。しかし、大ブリテン王国は更にスコッチを追い込んでいきます。私的なウイスキー製造を禁止し、密告者に大きな報奨金を支払う制度を整えました。

 自分たちの伝統であるウイスキー製造が奪われかねないスコットランドにとって、残された選択肢は密造のみで、イングランドから極力離れた地、ハイランドを中心に密造が行われ始めます。ハイランドの中でも特にスペイサイドはイングランドから離れており(グランピアン山脈もあり)、且つ良質な水とウイスキー造りに適した気候の地でありました。

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 密造の前までは、ウイスキーは樽で熟成させずに蒸留後、そのまま飲酒されるのが一般的でした。しかし、密造時代は公に蒸留して飲酒すると法律違反となる為、極力蒸留回数を減らして、隠しながら造酒・飲酒をする必要がありました。そこで行われたのが、蒸留酒(ニューポット)を一旦、木樽に隠して保存しておくという方法です。

 

そこで、偶然にも透明の蒸留酒が香り高く、琥珀色に変化していることを発見します。

 

 そしてこの経験を契機に、スコッチは更なる深化を遂げる経験値を得ることとなりました。

課税差別の撤廃について

 スコットランドのアイデンティティーの一つであるウイスキー造りはどれだけイングランドによる抑圧を受けても、途絶えることはありませんでした。どれだけ密造者を取り締まっても、一向に根絶できない事態に、ついに大ブリテン王国は方針転換を図り、1823年に酒税法の改定を行い、重税の歴史に幕を閉じます。

 翌年の1824年には新酒税法の元で、『グレンリベット蒸留所』が政府公認を得て、合法的にウイスキー造りを開始します。その後も多数の蒸留所が公認となっていきました。

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引用元:2022年 The Glenlivet Distillery - 行く前に!見どころをチェック - トリップアドバイザー (tripadvisor.jp)


 以上、皆様いかがでしたでしょうか。このようなスコットランドの苦悩を知って、スコッチを飲むと、また更に深く味わえそうですよね。